東部サテライト「三余塾」

静岡大学は、伊豆半島の中央部にある伊豆市の狩野川のほとりに静岡大学東部サテライト 「三余塾」を2020年7月に設置しました。人と人との出会いと学びと恊働の場を提供・運営していきます。

静岡大学初の県東部拠点

静岡大学東部サテライト「三余塾」には教職員が常駐し、東部地域の中央拠点として以下 の3つの「場」としての機能を備えます。

■協働のパートナーを見つける場

「人と人」、「ニーズとシーズ」、「プロジェクト同士」を 結びます。

■学びの場

市民や小中高生に対する公開講座を定期的に開催します。地域づくりに役立つ講座も提供します。

■情報を得る場・仲間に出会う場

新しい出会いや自由な対話があり、出かけやすく居心地のよい場所です。

「三余塾」名前の由来

松崎は、伊豆半島の南西岸に位置する小さな港町です。かつては日本の東西を結ぶ海上交通の要衝かつ県内有数の養蚕・製糸業の拠点となって、町には豪商が店を連ねました。松崎の名家に生まれた土屋三余(さんよ)(1815-66)は、若くして江戸で勉学して名声を得た後、故郷に戻って「三余塾」を開きました。彼の下には伊豆だけでなく全国から700人を超える門下生が集まり、綺羅星のごとく近代日本の様々な分野を支えるリーダーに育ったのです。
静岡大学東部サテライトは、この伝説の人材育成拠点「三余塾」の名前と精神を受け継ぎ、その名を東部サテライトの副称としました。

「三余塾」のおもな塾生と関係者

依田佐二平(1846-1924、帝国議会議員、実業家、学校・銀行創立)
依田勉三(1853-1925,北海道十勝開拓の先駆者、「帯広の農聖」)
依田善六(1850-1920、造船・海運業・銀行業、利益の社会還元)
入江長八(1815-89、漆喰を利用した鏝絵の芸術家)
大野恒哉(1839-1909、賀茂・那賀両郡長、豆陽学校長)
小沢一仙(1830-68、幕末の志士、未来型船舶の設計・造船者)
鈴木真一(1834-1918、日本初のプロ写真家・下岡蓮杖の弟子)
藤野圭二(1843-1911、教育行政、女子教育振興、西伊豆医師会長)
齋藤定蔵(1861-1921、事業家、海洋冒険家、南鳥島を日本人として初発見し上陸)
渡辺平四郎(1868-1931、樟脳製造、伊豆の鉱山王)
近藤平三郎(1877-1963、医学者、世界的なアルカロイド研究)
高橋郁郎(1892-1981、農芸技師、柑橘栽培の功労者)
須田昌平(1905-86、教師、作詞家として多数の校歌を作詞)
石田房吉(1853-1916、遠洋漁業の先駆者、石田礼助の父)
石田礼助(1886-1978、三井物産総帥、国鉄総裁)

施設内部

静岡大学東部サテライト「三余塾」が入る建物は、伊豆市の狩野川のほとりにある「狩野ベース」です。

常駐教員の紹介

鈴木雄介(准教授)

静岡大学理学部地球科学科を卒業後、民間測量会社、伊豆半島ジオパーク推進協議会専任研究員を経て静岡大学東部サテライト常駐教員(静岡大学未来社会デザイン機構・准教授)となる。専門は火山・防災。三島市出身。静岡大学での卒業研究として、富士火山北西麓の青木ヶ原をつくった西暦864年貞観噴火をテーマに地質調査と古記録の両面から噴火推移の実態を明らかにした。その後も日本各地の火山の調査を行い、火山ハザードマップ等の作成に携わった。伊豆半島ジオパークでは、火山に関する豊富な知識と多種GIS技術を駆使し、ジオパークの学術面の支援や専門家と地域をつなぐ役割を担った。NHK「ブラタモリ」の案内人として4回登場。主な著書として、「伊豆半島ジオパークトレッキングガイド―伊豆の山歩き海歩き―」(共著)(静岡新聞社)などがある。

近隣の連携施設

アクセスマップ

連絡先

静岡大学東部サテライト「三余塾」は、静岡大学未来社会デザイン機構が運営しています。

静岡大学東部サテライト「三余塾」
 〒410-3213 伊豆市青羽根65-1
 TEL: 0558-79-3500
 FAX: 0558-79-3201
 

静岡大学未来社会デザイン機構本部
 〒422-8529 静岡市駿河区大谷836
 TEL: 054-238-4055
 FAX: 054-238-4428
 

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